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[観光情報 イベント [観光]]には140件の情報があります。
平知盛塚
源平の戦いに敗れた平家の残族が逃げ込んだという「平家の落人伝説」が、この地に残っています。
平知盛(清盛の子)の家臣らが逃げ込んだと言われており、この塚は彼をしのんで建てたと伝えられています。
日限地蔵尊
江戸時代、三日月藩士が江戸から持ち帰ったと伝えられるお地蔵さん。
数々の奇跡的な出来事から、「日を限ってお願いすると必ずかなう」と言われ、町内外から多くの人が訪れています。
また、毎年8月23日に行われる夏祭り(地蔵盆) には、多くの人が花火や各種イベントを楽しんでいます。
北条時頼座像
鎌倉時代の5代執権北条時頼が隠居後、全国行脚の途中にこの地を訪れた際、病に倒れ3か月間滞在しました。その間、村人から手厚い看護を受けた時頼は、そのお礼にと自ら彫った木像1体と、「深雪にも あさる雉子(きぎす)の声聞けば己が心はいつも春哉(はるかな)」という歌を残して立ち去ったという言い伝えがあります。
この像は、国指定重要文化財です。時頼の像は全国で2体のみ(もう1体は鎌倉の建長寺にある俗体像)といわれ、本町の像は桂材による寄せ木づくり、彩色、彫眼のもので鎌倉時代の秀作として早くから旧国宝、現在は国指定重要文化財になっています。
また、時頼の歌からこの村を「春哉」と呼ぶようになりました。
弓の木
後鳥羽上皇が隠岐の島に流される途中、弓を 掛けて休んだという伝説がある通称「弓の木」 と呼ばれるムクノキ。 「三日月の大ムク」と同じく県指定の 天然記念物です。
兵庫県指定天然記念物「三日月のムクノキの古木」
三日月の大ムク
推定樹齢800年、目通りの幹回り約9.9m、 樹高約19mの大木で、昭和46年に兵庫県 指定天然記念物になりました。 ムクノキとしては日本一とも称賛され、多くの 見学者が訪れ親しまれています。
船越山モンキーパーク
船越山500ヘクタール余の広範囲に住みついた数百匹の純日本猿の野猿を餌付けし、「野猿の名所」としてその名を知られるようになり、観光客を楽しませています。
思い思いにグルーミングに励む彼らのなかにも「社会」はあるようで、じっと見ていると様々な人間...いや猿模様を垣間見ることができます。
また、平成14年6月に全国にも珍しい『黄金のサル.ひかりちゃん』が誕生し、ひと目見ようと全国からたくさんの観光客が来園しています。
南光自然観察村
南光自然観察村は本格的な宿泊型アウトドア施設です。オートキャンプも可能なテントサイトや宿泊用コテージ、グループで泊まれるキャビン棟、浴室棟などを備え、オールシーズン対応のキャンプ場です。レクリエーションや研修などにもご利用ください。
天一神社
この神社は今より約2千年前(弥生時代)に創立された日本でも最古の神社で、宝剣(銅剣)が御神體であることは、天智記に「安置御宅」と記され、延喜式神名帳をはじめ多くの古書に登記され有名です。尚、奈良東大寺戒壇神名帳に「天一天白中頭天王」と天一神社のことが記されています。正月には疾病を免れると近郷より多数の参拝者があります。
上三河の舞台
昭和50年、国の重要民俗資料として指定された農村舞台は茅葺き入母屋造りで、内部は宙づりと床の二段式回転舞台等いたるところに新しい試みがなされ、近世演劇史を語るうえで重要な資料となっています。
現在は、この舞台で、2年に1度の割合で歌舞伎が上演されています。
また、最近では小学生による子ども歌舞伎もはじまり、人気を集めています。
瑠璃寺
神亀5年(728年)、聖武天皇の勅願により、僧行基が開山し、本堂、金堂、薬師堂をはじめ、12の坊舎を建立したのが南光坊瑠璃寺であり、1200有余年の永きに亘り加持祈祷の修験道場としての伝統をもつ高野山真言宗派の名刹です。
冬には、大護摩と追儺式が行われ、20数名の山伏がホラの音を合図に問答と読経をはじめる様は壮観です。
また、重要文化財の鐘は権律師覚祐が願主となり、赤松一族が寄進した記名があり、応安二年の銘がある。覚祐は播磨守護であった赤松則村(円心)の末弟と伝えられています。
飛龍の滝
佐用郡随一の規模を持つ「飛龍の滝」。20mの高さから落ちる水の音としぶきは壮観です。
滝の中央部あたりの壁岩が突き出し、水の流れに変化がついています。これが飛龍の姿に似ていることから、この名前がつけられたと伝えられています。
杉坂史跡
元弘の変の失敗で隠岐に流される途上の後醍醐天皇を救出すべく、船坂峠(上郡町)で待ち伏せていた武士の中にいたのが児島高徳。しかし、天皇一行は船坂を通らず、杉坂峠を通りました。それを知り高徳が杉坂峠に駆け付けた時には、すでに天皇は院の庄(津山市)に入った後でした。
高徳無念の地がここ杉坂峠なのです。
平福本陣跡
鳥取藩の本陣跡に、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備しました。白壁の門や回廊形式の塀を設け、庭園には休憩用のベンチも配置しています。
平福陣屋門
徳川時代には、1万石以下の小藩の城を陣屋と呼び、その邸宅の入口に造った長屋門を陣屋門といいました。平福は、利神城廃城後、松平氏5千石の旗本領で代官支配となりました。今の陣屋門は、元治元年(1864年)に代官・佐々木平八郎が建築したものです。
武蔵初決闘の場
時は慶長元年、佐用町の因幡街道沿いに栄えた宿場町平福の金倉橋のたもとで、剣豪武蔵は、13歳のとき新当流の達人有馬喜兵衛に初勝負をいどみ一刀のもとに倒したと言われています。 また、平福は、佐用川沿の石垣に並ぶ川座敷、土蔵群による川端風景や標高373メートルの利神(りかん)山頂に築かれた山城、利神城(別名雲突城)跡が有名です。
安倍晴明塚と芦屋道満塚
棚田が美しく広がる佐用町大木谷には、平安時代に活躍していた陰陽道の大家「安倍晴明」と「芦屋道満」を祭った塚があります。
晴明塚は、様式や手法から室町時代前期に造られたと思われ、また、道満塚は寛政9年(1797年)に再建されたもの。
塚のほかにも、両者が矢を放って戦ったといわれる「やりとび橋」や、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」などの史跡もあります。
宿場町「平福」
宿場町「平福」は、因幡街道随一の宿場町として栄えたところで、「利神城跡」や「宮本武蔵(最初の)決闘の碑」などの旧跡が数多く残っています。
街道沿いに連なる町並みには格子などの意匠が施され、また、街道の裏側になる佐用川沿いには、川座敷や土蔵群が軒を連ね、訪れた人々をノスタルジックな気分にさせてくれます。この佐用川沿いの場所は、郷ひろみさんや岩下志麻さんが出演した映画「鑓の権三」(監督:篠田正浩 1985.08.21撮影)のロケにも使われました。
佐用の朝霧
佐用町は、周囲を山に囲まれた盆地にあり、晩秋から冬にかけての早朝、町は霧におおわれます。大撫山から望む朝霧は、夜明けの日差しをあびて幻想的に色を変え、心を誘う表情を見せてくれます。年間百日ほど発生するこの霧の美しさは、佐用の朝霧として全国的にも有名です。
ひょうご環境体験館(はりまエコハウス)
環境問題の大切さについて「気づき」「学び」「知る」をキーワードに体験型の環境学習施設として、兵庫県が平成20年3月に開館しました。映像、展示物、実験、エコ工作などの学習プログラムを通じて、環境体験し、環境の大切さを知り実践するきっかけづくりの場となるように配慮しています。
団体での見学やプログラム学習は予約が必要です。
町へのアクセス
佐用町の道路網は、東西方向に国道179号、南北方向に国道373号を基軸としています。また、県内外の都市間の交流を支える中国自動車道が東西方向に通っており、佐用町は佐用I.C.が位置する交通の要衝の地となっています。さらには、中国自動車道と分岐する鳥取自動車道が佐用JCT.から北に向けて一部開通しています。
鉄道網としては、智頭急行(株)智頭線が南北方向に、JR姫新線が東西方向に通っており、姫路市へは約1時間の所要時間となっています。しかしながら、その駅利用者数の推移をみるといずれも減少傾向が続いている状況です。