お知らせ
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平成26年4月27日執行 佐用町議会議員選挙 開票速報(確定)
平成26年4月27日執行 佐用町議会議員選挙 開票速報をお知らせします。
『官兵衛ゆかりの佐用三城』案内パンフレットの発行について
佐用町観光協会では、官兵衛ゆかりの城「上月城」「福原城」「利神城」にスポットをあてた案内パンフレット『時を超え戦国の地へ 官兵衛ゆかりの佐用「三城」を巡る』を発行しました。
このパンフレットを片手に官兵衛ゆかりの城を巡り、戦国時代の佐用町に思いを馳せてください。
パンフレットはA2版二つ折りで下記関連リンクからダウンロードできます。
また、佐用町役場本庁、各支所、道の駅宿場町ひらふく、笹ヶ丘荘等町内の観光施設で配布しています。
軍師官兵衛のタイトルバックのロケ地「飛龍の滝」
飛龍の滝は落差20m、佐用郡随一の規模です。
滝の中央部あたりの壁岩が突き出し、水の流れに変化がついています。これが飛龍の姿に似ていることから、この名前がつけられたと伝えられています。
利神城と黒田官兵衛
利神城は貞和5年、赤松一族の別所敦範が利神山頂に城を築いたことに始まったといわれています。慶長5年関ヶ原の戦いの跡、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万千石で領主となりました。3層の天守は、あたかも雲を突くが如き威容から雲突城とも呼ばれました。
上月城と黒田官兵衛
戦国時代の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた尼子氏、山中鹿介の最後の地として知られています。
その起こりは、延元元年、赤松氏の流れを組む上月次郎景盛が大平山に砦を築き、後に二代目の盛忠がこの地に本拠地を移したことに始まったといわれています。
福原城(佐用城)と黒田官兵衛
元弘3年4月28日、淀の久我畷の戦いにおいて、鎌倉方の総大将名越尾張守高家をただ一箭に打ち取った佐用兵庫の介範家の築城と伝えられ、その後、赤松三十六衆のうち福原氏がこの城を継いだので、福原城と言われている。
上月城趾
戦国時代の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた山中鹿介の最後の地として知られる上月城。その起こりは延元元年(1336年)赤松氏の流れをくむ上月次郎景盛が太平山に砦を築き、後に二代目盛忠がこの地に本拠を移したことに始まります。
セーフティネット保証(中小企業信用保険法第2条第4項)制度改正について
このたび、セーフティネット保証第5号は、「小規模企業の事業活動の活性化のための中小企業基本法等の一部を改正する等の法律」の施行に伴い、平成25年9月20日から、中小企業信用保険法第2条第4項第5号が第2条第5項第5号に変更になりました。
それに伴い、申請書類の様式も変わります。新しい様式は、下記の関連リンクからダウンロードできます。