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情報が更新された順に並んでいます。

「観光情報の高評価記事ランキング」には150件の情報があります。

1位 上月城と黒田官兵衛

 戦国時代の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた尼子氏、山中鹿介の最後の地として知られています。
 その起こりは、延元元年、赤松氏の流れを組む上月次郎景盛が大平山に砦を築き、後に二代目の盛忠がこの地に本拠地を移したことに始まったといわれています。

[2014年1月10日(金曜日)21時12分]
2位 町へのアクセス

 佐用町の道路網は、東西方向に国道179号、南北方向に国道373号を基軸としています。また、県内外の都市間の交流を支える中国自動車道が東西方向に通っており、佐用町は佐用I.C.が位置する交通の要衝の地となっています。さらには、中国自動車道と分岐する鳥取自動車道が佐用JCT.から北に向けて一部開通しています。
 鉄道網としては、智頭急行(株)智頭線が南北方向に、JR姫新線が東西方向に通っており、姫路市へは約1時間の所要時間となっています。しかしながら、その駅利用者数の推移をみるといずれも減少傾向が続いている状況です。

[2011年8月29日(月曜日)17時5分]
3位 南光自然観察村 予約案内

予約方法などについて

[2017年3月13日(月曜日)8時52分]
4位 利神城と黒田官兵衛

利神城は貞和5年、赤松一族の別所敦範が利神山頂に城を築いたことに始まったといわれています。慶長5年関ヶ原の戦いの跡、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万千石で領主となりました。3層の天守は、あたかも雲を突くが如き威容から雲突城とも呼ばれました。

[2014年1月10日(金曜日)21時28分]
5位 利神城跡

佐用町平福にある旧城跡。

[2017年9月8日(金曜日)15時52分]
6位 安倍晴明塚と芦屋道満塚

棚田が美しく広がる佐用町大木谷には、平安時代に活躍していた陰陽道の大家「安倍晴明」と「芦屋道満」を祭った塚があります。

晴明塚は、様式や手法から室町時代前期に造られたと思われ、また、道満塚は寛政9年(1797年)に再建されたもの。

塚のほかにも、両者が矢を放って戦ったといわれる「やりとび橋」や、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」などの史跡もあります。

[2011年8月30日(火曜日)11時55分]
7位 『官兵衛ゆかりの佐用三城』案内パンフレットの発行について 

 佐用町観光協会では、官兵衛ゆかりの城「上月城」「福原城」「利神城」にスポットをあてた案内パンフレット『時を超え戦国の地へ 官兵衛ゆかりの佐用「三城」を巡る』を発行しました。
 このパンフレットを片手に官兵衛ゆかりの城を巡り、戦国時代の佐用町に思いを馳せてください。

 パンフレットはA2版二つ折りで下記関連リンクからダウンロードできます。 
 また、佐用町役場本庁、各支所、道の駅宿場町ひらふく、笹ヶ丘荘等町内の観光施設で配布しています。 

[2014年2月5日(水曜日)15時17分]
8位 南光自然観察村 Q&A

よくあるご質問をまとめました。

[2017年3月30日(木曜日)10時32分]
9位 佐用の大イチョウ(県指定天然記念物)

町の象徴ともいえる大イチョウは、赤松氏が全盛のころ、ここにあった如意輪山満願寺の境内に茂っていたイチョウが大木となったもので、千年の間、佐用の歴史を見つめています。また、自生地の北限といわれる桑野の八幡神社のコヤスノキの叢林(そうりん)、中山のスダシイの古木、大船の八幡神社のケヤキの大木なども県文化財に指定されています。
イチョウは、平成22年10月1日に佐用町の町木に制定されました。

[2012年10月22日(月曜日)15時15分]
10位 福原城(佐用城)と黒田官兵衛

 元弘3年4月28日、淀の久我畷の戦いにおいて、鎌倉方の総大将名越尾張守高家をただ一箭に打ち取った佐用兵庫の介範家の築城と伝えられ、その後、赤松三十六衆のうち福原氏がこの城を継いだので、福原城と言われている。

[2014年1月10日(金曜日)21時9分]