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[観光情報 スポット [史跡・文化財]]には26件の情報があります。
飛龍の滝
佐用郡随一の規模を持つ「飛龍の滝」。20mの高さから落ちる水の音としぶきは壮観です。
滝の中央部あたりの壁岩が突き出し、水の流れに変化がついています。これが飛龍の姿に似ていることから、この名前がつけられたと伝えられています。
杉坂史跡
元弘の変の失敗で隠岐に流される途上の後醍醐天皇を救出すべく、船坂峠(上郡町)で待ち伏せていた武士の中にいたのが児島高徳。しかし、天皇一行は船坂を通らず、杉坂峠を通りました。それを知り高徳が杉坂峠に駆け付けた時には、すでに天皇は院の庄(津山市)に入った後でした。
高徳無念の地がここ杉坂峠なのです。
平福本陣跡
鳥取藩の本陣跡に、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備しました。白壁の門や回廊形式の塀を設け、庭園には休憩用のベンチも配置しています。
平福陣屋門
徳川時代には、1万石以下の小藩の城を陣屋と呼び、その邸宅の入口に造った長屋門を陣屋門といいました。平福は、利神城廃城後、松平氏5千石の旗本領で代官支配となりました。今の陣屋門は、元治元年(1864年)に代官・佐々木平八郎が建築したものです。
武蔵初決闘の場
時は慶長元年、佐用町の因幡街道沿いに栄えた宿場町平福の金倉橋のたもとで、剣豪武蔵は、13歳のとき新当流の達人有馬喜兵衛に初勝負をいどみ一刀のもとに倒したと言われています。 また、平福は、佐用川沿の石垣に並ぶ川座敷、土蔵群による川端風景や標高373メートルの利神(りかん)山頂に築かれた山城、利神城(別名雲突城)跡が有名です。
安倍晴明塚と芦屋道満塚
棚田が美しく広がる佐用町大木谷には、平安時代に活躍していた陰陽道の大家「安倍晴明」と「芦屋道満」を祭った塚があります。
晴明塚は、様式や手法から室町時代前期に造られたと思われ、また、道満塚は寛政9年(1797年)に再建されたもの。
塚のほかにも、両者が矢を放って戦ったといわれる「やりとび橋」や、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」などの史跡もあります。