佐用の史跡文化財 円応寺宝篋印塔
円応寺宝篋印塔(円応寺)

円応寺。この地名が示すように、以前この地内には寺院が存在しました。円応寺は、暦応二年(1339年)、播磨国守護として著名な赤松円心の一族である宇野氏(佐用氏説もあり)によって創建された禅宗寺院です。後に五山十刹に次ぐ諸山の地位を持った格式高い寺院となりました。
円応寺の旧伽藍境内地には、ビャクシンの巨木が建っています。この大木は、旧指定天然記念物で、現在は枯れて樹幹のみが保存されています。この根元に大きな宝篋印塔が残されています。総高は2.2m、花崗岩(かこうがん)製で、軸石が破損して新しく造られました。昭和47年には、南北朝初期とみられる優れた造形から、旧軸石を含め県指定文化財となりました。
この宝篋印塔は、佐用範家(のりいえ)の墓と伝えられています。範家は、『太平記』の中で久我畷(こがなわて)の戦いで北条の総大将名越高家(なごえたかいえ)を一矢で討ち、苦戦していた赤松勢を勝利に導いた人物です。江戸時代、佐用本陣の岡田光僴(みつかど)が記した『播磨古跡考』には、ビャクシン側に範家の石塔があったと記されています。しかし、昭和44年に石塔は山麓から現在の場所に移されたことから、本来の位置に戻されたと考えられます。その移動の際に大きな骨壷(つぼ)が出てきたとされています。はたしてどんな骨壷であったのか、大変興味深いものです。
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円応寺宝篋印塔
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