佐用の史跡文化財 茶屋の水害碑
茶屋の水害碑(茶屋)

JR姫新線三日月駅から国道179号を東に約20メートルのところに石碑が建てられています。この石碑は、以前はさらに約100メートル東にあった大師堂脇にありましたが、国道の拡幅工事の際に、ほぼ地中に埋もれた状態で見つかり、現在の場所に移設されました。
高さ約140センチの自然石には、次のような碑文が刻まれています。
「明治廿(にじゅう)三年九月十七日午前八時、洪水す。流失せし地盤は壹(いち)町余(よ)歩、家屋は三軒、半破(はんぱ)するは三軒、浸(ひた)りしは枚挙に遑(いとま)せず。實(じつ)に未曽有(みぞう)の害と為(な)る。茲(ここ)に於(お)いて石(いしぶみ)を建て紀念と為す。明治廿四年九月十七日 茶屋折口在所」(原文漢文・服部信男氏解読)
これは、明治23年に発生した河川の洪水によって、田畑や家屋の流失など周辺地域に甚大な被害があったことを記しています。
このほか、同様のケースとして、久保八幡神社には明治25年の水害や昭和6年の雹(ひょう)被害額が記されたが記された奉納があり、庵の吾勝速日(あかつはやひ)神社には昭和35年の水害写真が掲げられています。このように、様々な方法で災害の記録を後世に伝えようとした先人の思いが伺えます。
しかし、水害の記録を残すこの石碑が、ほぼ地中に埋もれて忘れられた存在になっていたことは、「災害は忘れたころにやってくる」を体現したかのようで、地域の歴史や災害史に学ぶことはまだまだ多いようです。
地図
茶屋の水害碑に込められた思い
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