佐用の史跡文化財 新宿廃寺跡
新宿廃寺跡(新宿)

廃寺とは、社会、経済情勢や天災などにより「廃止された仏教寺院」のことです。新宿廃寺跡は、国道179号線を南光地域から三日月地域新宿集落に入った卯の山峠付近の畑の中にあります。小字に塔垣内、釣堂などの寺院建物に関係するような地名が残っており、塔垣内には、廃寺の礎石が3個露出した状態で残っています。
昭和52年に行われたほ場整備での発掘調査では、塔垣内は工区から外して保存地区とし、発掘調査は行われませんでした。しかし、周辺で採集された瓦の様式から、新宿廃寺が、7世紀末頃に建立された町内でも古い寺院であることがわかり、昭和58年には町指定文化財(史跡)に指定されました。
8世紀初めに記された『播磨国風土記』には、佐用郡の6つの里の一つに中川里(なかつがわのさと)があります。また、「中川駅」が、10世紀初めに記された『延喜式』には古代美作道の駅家(うまや)として記されています。さらに新宿地内で「播磨國中津河」の刻銘がある県指定の石塔「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が発見されたことから、この付近が中川里と考えられるようになりました。
古代中川里の中心部にある新宿廃寺跡の付近には寺を建立し、管理した有力者が居を構え、美作道沿いには駅家が整備されていました。そのことは、新宿廃寺跡が当時の政治・文化・交通の拠点であったことを今に伝える遺跡とされる所以です。
なお、新宿は15世紀に遡る地名で、離宮八幡文書中に「佐用郡中津河新宿」と記されています。また同文書中にでてくる赤松則祐は、赤松円心の子で中津川殿とも呼ばれることから、新宿周辺は赤松則祐の本拠地であったとも考えられています。
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新宿廃寺跡
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