佐用の史跡文化財 雪花姫宝きょう印塔
雪花姫宝きょう印塔(奥多賀)

奥多賀にまつわる古い話。「平安京に都があったころ、宇多天皇の娘のひとりに雪花姫(ゆきはなひめ)と呼ばれる姫がいました。ところがこの姫、時の大納言に言い寄られていたため身の危険を感じ、供を連れて密かに都を離れ人家からも離れた深山のほとり、茅葺きの家に住んで月日を送っていました。こうして1年ばかり世を忍んで暮らすうち、いつしか姫は藤原行重という男と懇意になりました。そしてこの山奥の家を住居と決めて都を忘れ、行重と結婚することにしました。その後は子どもをもうけ、薬草採りを家業として暮らした」とのことです。
いまの奥多賀地区、大下り川と別所川が交わる山すそあたりに姿の良い石造りの塔が一つ建っています。この塔がその雪花姫の墓と伝えられると、物語とともに佐用郡誌などには載せられています。
さてこの話の真偽はともかく、物語の地である奥多賀は本当に「人家を離れた深山」だったのでしょうか。
確かに山深くはありますが、この話より時代が下る中世のころには、石塔のある山の頂に小規模ながら奥多賀城(上畫(じょうが)ノ城)が造られます。東は大下りへ抜け、また奥山川を南へ遡(さかのぼ)れば現在の上郡町の獅子見・鍋倉方面に続くこの地は、もしかすると当時城を造る必要があるくらいに意識された所ではなかったか・・・などと今も残る遺跡から地元の情景を想像してみるのもおもしろいかもしれません。
なおこの塔は調査の結果から室町時代初期の作と考えられるもので、町の歴史を物語る貴重な資料として昭和63年には町指定の文化財に指定されています。
(参考文献:「佐用郡誌」「南光町史」他)
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雪花姫の塚 雪花姫宝きょう印塔
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