佐用の史跡文化財 神座ナメ磨崖仏と古代交通
神座ナメ磨崖仏と古代交通(末包)

江川川をさかのぼり、江川神社を左に分岐して末包川沿いに谷を進み、1.5キロほど集落を過ぎたあたりで、谷は狭く川が大きく屈曲して正面に崖(がけ)がせまります。現在は車道が通り、崖を横目に気づかず通過する人も多いでしょうが、この崖には2体の地蔵仏が彫られています。こうした岩壁を削って彫り出した仏像を磨崖仏と呼びます。
この地は「神座ナメ」と呼ばれますが、「ナメ」は古語でいう「岩」のことで神の依(よ)り代(しろ)であったのか、いずれにしても信仰の場所であったようで、伝承によると源平の戦いで敗れた平宗清が当地へ逃れてきて、7体の仏像を彫り始めました。しかし2体が完成したときに夜が明けたので、残りは輪郭だけを帰ったといわれています。そして信心深い人には7体とも見えるとされています。
2体の地蔵像は上下にずらして彫刻され、左下のものは像高71センチ、異形舟形の台座に立ち、顔面部は極薄の肉彫り、他は線彫りとして全体的に平板な仕上げです。錫杖(しゃくじょう)を左肩側に持つ点は通常の地蔵とは逆で変わっています。右上のものはやや小さく像高58センチで、2体とも同様の様式や手法で彫られることから、同一作者によるもので室町時代の作と推定されます。町内では唯一の磨崖仏であり、昭和63年に町指定史跡になっています。
この先を進むと今は門跡や地名がわずかに往時をしのばせる観音寺跡があり、また大原へ抜ける古代因幡道があったと推定される交通路。神座ナメは交通難所の一つと思われ、先人の苦労と信仰を今に伝える遺産となっています。
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神座ナメ磨崖仏と古代交通
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