佐用の史跡文化財 北条時頼伝説と木造坐像
北条時頼伝説と木造坐像(春哉)

「深雪にも あさる雉子(きぎす)の声聞けば おのが心は いつも春哉(はるかな)」
鎌倉幕府の執権であった北条時頼は、後に仏門に入り最明寺入道と呼ばれ、諸国行脚して仏法の興隆や政道の改善につくし、各地に回国伝説を残しています。
冒頭の歌は三日月地域の春哉集落の地名をよみこんだもので、時頼が諸国行脚の途中、大雪と旅の疲れで病に倒れ、正元元年(1259)11月から文応元年(1260)2月までの3か月間春哉の村に滞在しました。そして、村人の助けを受けながら体をいやし、この歌とともに自作の木像を残して立ち去ったと伝えられています。
この木像が現在も春哉の最明寺にある国指定重要文化財となっている北条時頼坐像で、桂材の寄木造り、彫眼、もとあった彩色はほとんどはげおちて、木地が露出しています。
時頼の彫刻像としては全国で3例が知られ、神奈川県の建長寺と最明寺にある俗体像、それに当寺の僧体像という限られたものです。
時頼は弘長2年(1262)に37歳で没しており、時頼自作というのは伝説としても、没後あまりたたない鎌倉時代の作と考えられる貴重な文化財です。
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北条時頼伝説と木造坐像
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