佐用の史跡文化財 大谷家墓地宝篋印塔
大谷家墓地宝篋印塔(上月)

上月城のふもとにある墓地の中に、ひっそりと建っている石塔。これは「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」といい、今では墓として知られる塔ですが、本来は「宝篋印陀羅尼経 (ほうきょういんだらにきょう)」というお経を納めた供養塔とされ、鎌倉時代ごろから造られているものです。
さて、この塔はいつからか各部材が失われていき、完全な形ではなくなっていました。ところが昭和51年に寄延川の河川工事中に基礎部分が発見され、いったんは別な塔として安置されていましたが、その後の調査で墓地にある塔の部材と同一のものであることが分かり、墓地に移して組み合わせ、足りないか所は補充して、当時の形にして保存することにしました。
復元された塔は笠と基礎が当時のもので、この基礎部分には「貞治(じょうじ)四年乙巳(きのとみ)歳」、「卯月十六日」、「化主(けしゅ)道誠敬白」と銘文があることから、「貞治四(1365)年の4月16日に、道誠という僧侶が造立」したことが分かります。なおこの貞治四年は赤松円心が亡くなって15年、赤松則祐が赤松氏の総領になっている時代にあたります。
このころの佐用郡近隣における則祐の活動では、城山城を始めいくつかの城を築いたり、瑠璃寺に銅鐘(県指定)の寄進をしたりしています。
このような時代に造られたこの宝篋印塔は、紀年銘のある石造品としては最古であり、町の歴史を知る貴重な資料であるため、昭和63年に町指定文化財に指定されました。
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大谷家墓地宝篋印塔
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