佐用の史跡文化財 瑠璃寺奥の院
瑠璃寺奥の院(船越)

船越山瑠璃寺は、神亀(じんき)5年(728)2月、聖武天皇の勅願によって行基が開創したと伝えられています。この寺伝には「播磨国の戌亥の方(北西)に夜々現れるという瑞光を求めて山中に入った行基が、にわかに現れた老翁(実は薬師如来の化身)に案内を受け、また山の地主である大天狗に出会い嶺上の霊地を示されたことから、ここを奥の院として薬師如来をまつり、山腹の本堂には千手観音など72もの堂宇が建てられた」と記されています。
現在、瑠璃寺の宝物群からたどれる歴史は14世紀以降で、数度の火災にあい、堂宇の大半は江戸時代以降に建て直されています。
奥の院は本坊から約1キロ離れた標高約520メートルの山陵上にあり、その薬師如来は「峯の薬師如来」と称され、江戸時代に書かれた地誌『播磨鑑(はりまかがみ)』には「毎年二季の彼岸を功徳日として、近里遠国の貴賎袖をつらぬる事夥し」と記され、庶民の厚い信仰を受けていたことが知られます。
この建物は、約13メートル四面の立派なもので堂内に張られた祈祷札から建築年代は18世紀半ばごろと考えられます。
外観は入母屋(いりおもや)妻入りで妻飾りに二重虹梁(こうりょう)を用いて意匠を凝らし、内部は禅宗様式で、組み物は出三斗(でみつと)の簡素だが整った意匠の堂。改造もほとんどなく当初の形態をよくとどめた江戸時代中期の代表的寺院建築であることから、平成5年に町指定文化財となっています。
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瑠璃寺奥の院
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