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佐用の史跡文化財 円応寺の礎石

円応寺の礎石(円応寺)


 円応寺集落の一角には「観音堂」とよばれるお堂があり、ひっそりとした境内に静かなたたずまいを見せています。
 このお堂の足下には建物が乗っている礎石があり、いくつかは柱よりも大きい円形の浮き彫りがほどこされていることが分かります。この一見何の変哲もない礎石が、いまの「円応寺」という地名のいわれを物語っています。
 円応寺、正しくは「北山円応禅寺」。今から670年前・1339(延元四)年に、いまの円応寺の地に開山されたこの寺は、当時禅宗において名声第一ともいわれた京都東福寺の首座・大朴玄素を迎えて開山第一世とし、その後60年ほど経た1400(応永七)年には幕府直轄の官寺に挙げられ「諸山」の寺格をもつ大寺になっています。また寺を造り大朴玄素を迎えたのは、「佐用町史」では赤松家中にあって、建武の中興に大功のあった宇野三兄弟(宇野左衛門太郎宗清・小寺相模守頼季・熊見能登守国頼)であるともしています。
 寺はこの後赤松氏が滅ぶ嘉吉の乱以後も、それとは関係なく残っていたようですが、このような隆盛を誇った寺であったにもかかわらず、当時のようすなどのくわしい姿は今ではほとんど伝わっていません。いつごろ無くなってしまったものか、幕府の権威が落ち戦乱の世になっていくにつれ、寺も荒廃していったのでしょうか。
 いまではお堂の下に残る礎石が当時の繁栄の姿を今に伝えるのみとなっています。
 なおこの礎石は、佐用町の中世寺院の貴重な資料として平成13年に町指定考古資料に指定されています。

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円応寺の礎石

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