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お知らせ

[観光情報 スポット [史跡・文化財]]には25件の情報があります。
 利神城かわら版

■「利神城かわら版」の発刊

教育課 企画総務室[2024年4月9日(火曜日)8時20分]
 利神城跡、指定文化財等周辺でのドローン飛行について

町では利神城跡をはじめとする指定文化財周辺でのドローン飛行について、文化財保護ならびに事故防止のため、次のとおり原則禁止としますので、ご理解ご協力くださいますようお願いします。

教育課 企画総務室[2021年3月25日(木曜日)13時30分]
 利神城跡

佐用町平福にある旧城跡。

商工観光課 商工振興室[2021年3月19日(金曜日)15時21分]
 国指定史跡利神城跡の保存活用計画を策定しました-策定委員会の会議内容を公表します-

町では、平成29年10月13日に国指定史跡に指定された利神城跡について、将来にわたって適切に保存し活用していくため、平成30年2月、「利神城跡保存活用計画策定委員会」を立ち上げ計画づくりを行いました。

教育課 企画総務室[2020年5月29日(金曜日)10時52分]
 国指定史跡・利神城跡の保存活用計画を策定中です -策定委員会の会議内容を公表します-

町では、平成29年10月13日に国指定史跡に指定された利神城跡について、将来にわたって適切に保存し活用していくため、平成30年2月、「利神城跡保存活用策定委員会」を立ち上げ計画づくりを進めています。

教育課 企画総務室[2019年8月8日(木曜日)11時56分]
 国指定史跡・利神城跡の保存活用計画を策定中です -策定委員会の会議内容を公表します-

町では、平成29年10月13日に国指定史跡に指定された利神城跡について、将来にわたって適切に保存し活用していくため、平成30年2月、「利神城跡保存活用策定委員会」を立ち上げ計画づくりを進めています。

教育課 企画総務室[2018年12月6日(木曜日)10時16分]
 国指定史跡利神城跡(山城地区)への登山制限について

国指定史跡利神城跡は、山城地区と御殿屋敷地区があります。
山城地区は、石垣などの城跡の一部が崩落し、危険な場所があるため、現在、関係者以外の登頂を制限しております。

教育課 企画総務室[2017年10月17日(火曜日)8時42分]
 上月歴史資料館

戦国時代、織田軍・毛利軍の激しい戦いの地となった上月城の歴史を展示しています。

また、明治の中頃から作られていた早瀬土人形の展示や、古くから作られていた和紙「皆田紙」の紙漉きの工程写真や、紙漉き道具などの展示をしています。

教育課 企画総務室[2015年4月3日(金曜日)13時9分]
 三日月藩乃井野陣屋館

元禄10年(西暦1697)、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が現在の佐用町三日月の地に移住。佐用町だけでなく宍粟・揖保郡の一部を含む1万5千石の藩主となりました。以後明治までの174年間、乃井野地区を城下に、政治・文化の中心地として栄えました。

整備された物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、現存する陣屋の物見櫓としては、全国的にも希少で大変貴重な建築遺構であると評価されています。

教育課 企画総務室[2014年8月12日(火曜日)11時54分]
 上月城趾

戦国時代の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた山中鹿介の最後の地として知られる上月城。その起こりは延元元年(1336年)赤松氏の流れをくむ上月次郎景盛が太平山に砦を築き、後に二代目盛忠がこの地に本拠を移したことに始まります。

商工観光課 商工振興室[2014年1月9日(木曜日)18時5分]
 佐用の大イチョウ(県指定天然記念物)

町の象徴ともいえる大イチョウは、赤松氏が全盛のころ、ここにあった如意輪山満願寺の境内に茂っていたイチョウが大木となったもので、千年の間、佐用の歴史を見つめています。また、自生地の北限といわれる桑野の八幡神社のコヤスノキの叢林(そうりん)、中山のスダシイの古木、大船の八幡神社のケヤキの大木なども県文化財に指定されています。
イチョウは、平成22年10月1日に佐用町の町木に制定されました。

商工観光課 商工振興室[2012年10月22日(月曜日)15時15分]
 平福の町並み

平福は、慶長・元和年間(1596年から1623年)に現在の町並みが形成され、その後、因幡街道随一の宿場町となりました。街道に沿う町並みは、昔ながらの姿で、南北に1.2キロほど続きます。利神山とこれに対する西側の連峰の山峡の懐に抱かれて、今は静閑なたたずまいを見せています。連子窓、格子戸の平入りの家々、佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観です。

商工観光課 商工振興室[2011年8月31日(水曜日)8時59分]
 平知盛塚

源平の戦いに敗れた平家の残族が逃げ込んだという「平家の落人伝説」が、この地に残っています。
平知盛(清盛の子)の家臣らが逃げ込んだと言われており、この塚は彼をしのんで建てたと伝えられています。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時51分]
 日限地蔵尊

江戸時代、三日月藩士が江戸から持ち帰ったと伝えられるお地蔵さん。
数々の奇跡的な出来事から、「日を限ってお願いすると必ずかなう」と言われ、町内外から多くの人が訪れています。
また、毎年8月23日に行われる夏祭り(地蔵盆) には、多くの人が花火や各種イベントを楽しんでいます。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時51分]
 北条時頼座像

鎌倉時代の5代執権北条時頼が隠居後、全国行脚の途中にこの地を訪れた際、病に倒れ3か月間滞在しました。その間、村人から手厚い看護を受けた時頼は、そのお礼にと自ら彫った木像1体と、「深雪にも あさる雉子(きぎす)の声聞けば己が心はいつも春哉(はるかな)」という歌を残して立ち去ったという言い伝えがあります。

この像は、国指定重要文化財です。時頼の像は全国で2体のみ(もう1体は鎌倉の建長寺にある俗体像)といわれ、本町の像は桂材による寄せ木づくり、彩色、彫眼のもので鎌倉時代の秀作として早くから旧国宝、現在は国指定重要文化財になっています。

また、時頼の歌からこの村を「春哉」と呼ぶようになりました。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時51分]
 弓の木

後鳥羽上皇が隠岐の島に流される途中、弓を 掛けて休んだという伝説がある通称「弓の木」 と呼ばれるムクノキ。 「三日月の大ムク」と同じく県指定の 天然記念物です。
兵庫県指定天然記念物「三日月のムクノキの古木」

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時51分]
 三日月の大ムク

推定樹齢800年、目通りの幹回り約9.9m、 樹高約19mの大木で、昭和46年に兵庫県 指定天然記念物になりました。 ムクノキとしては日本一とも称賛され、多くの 見学者が訪れ親しまれています。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時50分]
 天一神社

この神社は今より約2千年前(弥生時代)に創立された日本でも最古の神社で、宝剣(銅剣)が御神體であることは、天智記に「安置御宅」と記され、延喜式神名帳をはじめ多くの古書に登記され有名です。尚、奈良東大寺戒壇神名帳に「天一天白中頭天王」と天一神社のことが記されています。正月には疾病を免れると近郷より多数の参拝者があります。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時4分]
 上三河の舞台

昭和50年、国の重要民俗資料として指定された農村舞台は茅葺き入母屋造りで、内部は宙づりと床の二段式回転舞台等いたるところに新しい試みがなされ、近世演劇史を語るうえで重要な資料となっています。

現在は、この舞台で、2年に1度の割合で歌舞伎が上演されています。

また、最近では小学生による子ども歌舞伎もはじまり、人気を集めています。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時4分]
 飛龍の滝

佐用郡随一の規模を持つ「飛龍の滝」。20mの高さから落ちる水の音としぶきは壮観です。

滝の中央部あたりの壁岩が突き出し、水の流れに変化がついています。これが飛龍の姿に似ていることから、この名前がつけられたと伝えられています。

商工観光課 商工振興室[2011年8月30日(火曜日)13時3分]